イタリアからクロアチアの旅 ― 2006/08/05
1回目のオペラ公演の後4日間の休みがあって2回目の公演の予定だったが、2回目の公園には欠席してイタリアからクロアチアお旅することにした。
それまではラスペチアという町のホテルに宿泊していたが、そこでレンタカーを借りて移動することにした。
レンタカー はフィアット・パンダとうい小型車でマニュアル車だった。イタリアではほとんどオートマチック車はなく、女性もマニュアル車を乗り回しているそうである。20年ほどマニュアル車は乗っていないし、左ハンドルだし、道路標識は横文字なので最初は非常に不安だったが、昔取った杵柄とはよく言ったもので、半日ほど乗り回すと、手足のように操れるようになった。
■最初の目的地はピサ(8/4)
ピサのホテルでパートナーをピックアップする予定だったが、運転しながら横文字の道路標識や行き先案内を読むのは想像以上にj大変だった。イタリア語は大きく書いてあるが英語は小さく目立たない。それを慣れないマニュアル車を操作しながら見なけらばならない。後ろから車が来るので止まって見ていられない。最初はパニック! 結局、高速道路に入り損ねて迷ってしまった。近くにホームセンタがあったので駐車場に入って買い物帰りの地元民に頼んで誘導してもらった。高速道路に入れればPISAに向かっていけばいいのでほっとした。しかし、高速を降りて一般道に入るとまた道に迷ってしまった。海外用の携帯電話を成田で借りて持っていたが、充電回路が故障しているらしくバッテリーが上がってしまって車から連絡が取れない。(帰国後、レンタル料を返してもらった。) ピサ空港が近くに見えたので空港に駐車し、コンセントを貸してもらって電話した。結局、僕が空港で
ピックアップしてもらう結末となった。無事1時間遅れで合流。
その日のうちにフィレンツェまで行き宿泊したかったので、ピサの斜塔だけは見に行った。

斜塔を支えているつもり。
■フィレンツェ(8/4-5)
昼頃から、ピサを後にしてフィレンツェに向かって出発した。ナビゲータがいると運転に集中できるのでかなり楽になったが、ラウンドアバウトというロータリーのような交差点は慣れないと左折が難しい。左回りに回って好きな方向の道に出て行けばいいだけだが、回っているうち東西南北が分からなくなってしまう。これもだんだん慣れてきて、その日のうちに周りを見ながら操作できる余裕が出てきた。

フィレンツェには1泊しかしなかったが、一応、有名どころは行ってみた。
有名なダビデ像
広場にあるこの像はレプリカで、本物は美術館にあるのだが、行かなかった。

ダビンチの設計図

これで空を飛ぼうとしたらしい?

ダビンチが考えた戦車

最後の晩餐

■ベネチア(8/5-7)
イタリアの高速道路では、車線が低速車用~高速車用に分かれていて、スピードの遅い車が前をふさぐことはない。高速車が近づいてくると前の車が低速車線によけてくれる。常に後ろから総則者が来ることを意識しているらしく、絶妙のタイミングでよけてくれる。ブレーキを踏むことはほとんどなく快適にドライブできる。
低速車が追い越し車線を占領して拘束者が地数いてもよける気配がない日本とはえらい違いだと感じた。自動車社会をイタリアと比べると日本はまだまだ発展途上国だ。

ベネチアに入る前でレンタカーを返却してバスに乗り換え到着。

ほとんど1階は浸水状態の都市。

ゴンドラがタクシーのように並んでいる。

ベネチアの風景。町並みは美しいが、運河はとにかくドブ臭い。

海から見た町

空から見たベネチア。
クロアチアからの帰りの飛行機から天候に恵まれ偶然に見えた。

■スロベニア(8/7)
ベネチアから鉄道でスロベニアのDIVACAまで行き、「シュコツィアン洞窟」を見学した。撮影禁止なので写真はない。DIVACA~洞窟~PIVKA間は交通機関が無いので白タクを使った。

■■クロアチア■■
■RIJEKA(8/7)
その後、PIVKAから鉄道で陸路クロアチアに入り、RIJEKAから夕方フェリーでSPLITまで行く。
夜行便なので船内で寝た。8月なので薄着でいたが、船内は冷房が強すぎて凍えるかと思った。

■SPLIT(8/8-9)
静かなヨットハーバーである。

いろんなヨットが往来している。

夜は静かでのんびりとした感じである。

■ドブロブニック(8/9-12)
バスにのってでDUBROVNIKに到着。民宿の案内デスクがある。


民宿のベランダで一杯。

町並み。オレンジ瓦の屋根が西洋を感じさせる。

しかし、白黒で撮ると日本と変わらない気がする。

外から見ると城壁に囲まれた要塞の町

この門から出入りする。

中の広場は結構きれい。

クロアチアはネクタイ発祥の地とのこと。そこでネクタイを1本買った。

■Zagreb空港からMilan経由で成田へ(全行程)

第52回プッチーニフェスティバル ― 2006/08/04
三枝成彰先生作のオペラに出演させていただきました。
「Jr.バタフライ」といってプッチーニの「マダム・バタフライ」の続編のようなもので、ピンカートンと蝶々婦人の子供を通して描いた反戦ストーリだといえばいいかな。
当然、その他大勢の一人です。
場所はイタリアでプッチーニが晩年を過ごした町だそうです。

野外ステージ

最終リハーサル風景
本番は残念ながら著作権の関係で撮影の許可がおりませんでした。

打ち上げパーティー

ホテルでイタリアン気取り
